― 人生最大の感動が、私を変えた
昭和64年1月、私は下大利支店から二日市支店へ異動した。
昭和64年――。
わずか数日で平成へと変わる、時代の大きな節目だった。
まだ若い銀行員だった私は、仕事を覚えることに必死だった。
下大利支店で社会の厳しさを学び、ようやく少しずつ銀行員らしくなってきた頃である。
そんな中、私の人生にとって、大きな転機が訪れる。
結婚である。
そして平成2年9月、長男が生まれた。
いま振り返っても、あれほど大きな感動は、その後の人生でもなかなかない。
初めて我が子を抱いた瞬間のことは、今でもはっきり覚えている。
「自分は父親になったのか」
不思議な感覚だった。
それまでの私は、どこかで「自分のため」に頑張っていた。
もちろん仕事には真剣に向き合っていたが、責任の重さは今とは違っていた。
しかし、子どもが生まれた瞬間から、自分一人の人生ではなくなった。
家族を守らなければならない。
生活を支えなければならない。
父親として、しっかりしなければならない。
自然と、そう思うようになった。
長男には、「竜馬」と名付けた。
坂本龍馬のように、優しく、そして強い人間になってほしい。
さらに、自分のためだけではなく、世の中の人たちのために行動できる人物になってほしい――そんな願いを込めた名前だった。
当時の私は、まだ若かった。
それでも、「どんな人間になってほしいか」を真剣に考えて名前をつけた。
親になるというのは、こういうことなのかもしれない。
それまで以上に、「仕事を頑張らなければ」という気持ちが強くなったのを覚えている。
銀行員の仕事は決して楽ではなかった。
数字のプレッシャーもある。
営業の厳しさもある。
失敗も許されない。
だが、不思議と「辞めたい」と思ったことはなかった。
家族の存在が、自分を支えていたからである。
特に長男が生まれてからは、「自分が弱音を吐いてはいけない」という気持ちが強くなった。
若い頃は、自分のことで悩む。
しかし父親になると、悩みの種類が変わる。
家族の将来。
子どもの成長。
生活。
責任。
それらを背負うことで、人は少しずつ大人になるのかもしれない。
また、子どもが生まれたことで、私は「経営者の気持ち」を以前より理解できるようになった気がする。
銀行員として多くの社長と接していると、皆、家族の話をされる。
会社の話をしていても、最後は「家族を守りたい」という話になることが多かった。
若い頃は、その重みを本当の意味では理解できていなかったと思う。
しかし、自分自身が父親になったことで、少しずつ分かるようになった。
社長たちは、自分だけのために会社を経営しているわけではない。
社員を守る。
家族を守る。
会社を守る。
その責任を背負っている。
いま、事業承継の仕事をしていても、私はよく思う。
事業承継とは、単なる「財産の承継」ではない。
経営者が背負ってきた責任や想いを、次の世代へどうつないでいくか――その問題なのだと。
その感覚の原点は、父親になった頃にあったように思う。
二日市支店時代は、仕事でも家庭でも、大きく環境が変わった時期だった。
忙しい毎日だったが、不思議と充実していた。
人生には、「頑張らなければならない理由」が必要なのかもしれない。
私にとって、その大きな理由になったのが、家族だった。
そして、この頃から私は、仕事に対する覚悟が少しずつ変わっていったように思う。
次回は、二日市支店時代、バブル経済の熱気と、その裏側で見えていた現実について書いてみたい。
第7回 父になる
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