― 人生は思い通りにならない
平成16年3月、父が74歳で亡くなった。
もっと会いに行けばよかった。
もっと話をしておけばよかった。
そんな後悔を抱えながらも、私は仕事に追われる毎日を送っていた。
久留米支店の渉外マネージャーとして、支店業績の管理、大口取引先への対応、部下の指導に追われていた。
さらに、その年の10月には福岡シティ銀行と西日本銀行の合併が控えており、営業店では通常業務に加え、
合併準備という大仕事も進んでいた。
システム統合、事務手続きの変更、新しい組織体制への対応。
支店全体が慌ただしい空気に包まれていた。
父を亡くした悲しみを感じる暇もなく、3月決算が終わり、新しい期が始まった。
今思えば、心も身体もかなり無理をしていたのだと思う。
そして運命の日がやってきた。
6月中旬の土曜日。
その日は合併に関する研修が行われていた。
翌日の日曜日も私は銀行へ出勤していた。
休日出勤は珍しいことではなかった。
平日に処理しきれなかった稟議書を書き、週明けの準備を進めていた。
すると突然、腹部に激しい痛みが走った。
実は、それ以前から時々腹痛はあった。
いつもなら一時間ほど我慢していると治まる。
だからその時も、「またか」という程度に考えていた。
ところが、その日は違った。
痛みが治まらない。
それどころか、時間が経つにつれてどんどんひどくなる。
冷や汗が出る。
身体がだるい。
立っているのもつらい。
何とか仕事を切り上げ、自宅へ戻った。
そして近くの病院で診察を受けた。
すると、その場で入院となった。
「少し休めば良くなるだろう」
最初はそう思っていた。
しかし病状は改善しなかった。
今まで経験したことのない痛みだった。
きつい。
だるい。
身体が思うように動かない。
何が起きているのか、自分でも分からなかった。
病院のベッドで耐えるしかなかった。
三日ほど経った頃だった。
突然、院長先生が病室へ飛び込んできた。
その表情は今でも鮮明に覚えている。
明らかに様子がおかしかった。
そして、
「橋本さん、すぐに久留米大学病院へ行ってください。」
そう言った。
院長先生の血相が変わっていた。
ただ事ではないことだけは分かった。
私はすぐに救急車へ乗せられた。
向かった先は、久留米大学病院救命救急センターだった。
サイレンの音が響く。
救急車の天井を見つめながら、私は初めて恐怖を感じていた。
「自分はそんなに悪いのか・・・」
40歳。
まさか自分が救急車で運ばれる日が来るとは思ってもいなかった。
高校時代は野球に打ち込み、銀行に入ってからも健康にはそれなりに自信があった。
病気というものを、どこか他人事のように考えていた。
しかし、その時初めて気づいた。
人間は、自分が思っているほど強くない。
健康も当たり前ではない。
人生は、自分の思い通りにはならない。
父を亡くしてわずか三か月。
今度は自分自身が病院のベッドの上にいた。
仕事が忙しい。
責任がある。
そんな理由で走り続けてきた。
だが、身体は限界を迎えていたのである。
後に私は、事業承継の仕事に深く関わることになる。
経営者に対して、
「人はいつか引退する」
「人はいつか病気になる」
「だからこそ、早めの準備が必要です」
と話している。
その考え方の原点は、この時の経験にあるのかもしれない。
救命救急センターのベッドに横たわりながら、私はまだ知らなかった。
これから二か月に及ぶ入院生活が始まることを。
そして二度の大手術を経験することを。
さらに、その経験が私の人生観を大きく変え、後の事業承継・M&Aの仕事へとつながっていくことを。
人生は、本当に何が起きるか分からない。
そのことを、私は40歳にして初めて思い知らされたのである。
第11回 突然の病
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