第17回:忘れられないT社長

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― 「自分で理解する社長」は強い

プライベートバンキング室とは、何をする部署なのか。

大きく分ければ、二つの役割があった。

一つは、金融商品の販売支援。

支店の営業行員と一緒にお客様を訪問し、支店行員だけでは説明が難しい金融商品について、
専門的な知識を補う役割である。

もう一つは、企業オーナーや地主の方々に対するコンサルティング営業だった。

相続。

資産承継。

そして事業承継。

私が本当に面白いと感じたのは、こちらの仕事だった。

しかし、実際には銀行にとって収益になりやすいのは金融商品の販売である。

商品を販売すれば、比較的早く収益になる。

一方で、事業承継は違う。

社長の考えを聞き、株価を調べ、株主構成を確認し、後継者や家族のことまで考える。

提案してから実行まで、何年もかかることも珍しくない。

即効性はない。

収益にもすぐには結びつかない。

当時、私が勤務していた銀行でも、プライベートバンキング業務のかなりの部分は
金融商品販売だったように思う。

それでも私は、企業オーナーや地主の方々へのコンサルティング、とりわけ事業承継に力を入れた。

もう二十年以上前のことである。

今ほど「事業承継」や「M&A」という言葉が世の中で頻繁に使われていなかった時代だった。

それでも私は、

「これは将来、大変な問題になる。」

そう確信していた。

多くの社長が高齢になれば、必ず会社を誰かに引き継がなければならない。

しかし、その準備をしている会社は驚くほど少なかった。

そんな中、今でも忘れられない社長がいる。

T社長である。

当時、私は何社にも事業承継の提案をしていた。

T社にも、自社株対策を中心とした提案を行った。

まだグループ法人税制が施行される前の時代である。

当時は、関連会社へ不動産を売却して損失を計上し、会社の株価を引き下げたうえで、
後継者へ株式を移転するという方法が使われることがあった。

T社でも、新しく会社をつくり、そこへ不動産を売却する案を提案した。

何億円もの売却損が発生する。

その結果、会社は大幅な赤字となり、株価も下がる。

そのタイミングで、後継者へ株式を移転する。

もちろん、不動産取得税や登録免許税といったコストは発生する。

それでも、事業承継全体で考えれば大きな効果が期待できる対策だった。

私は当時、十社近くに似た提案をした記憶がある。

しかし、ほとんどの社長にはなかなか理解していただけなかった。

私の説明も、まだ十分ではなかったのだと思う。

非上場株式の評価は難しい。

税務も複雑である。

普通なら、

「よく分からないから、また今度考えよう。」

となってしまう。

そして、その「また今度」が何年も続く。

ところが、T社長は違った。

地元の進学校を卒業後、慶應義塾大学へ進まれた非常に勉強熱心な方だった。

私が提案してから一週間ほど経った頃、電話がかかってきた。

「橋本君、内容はよく分かった。確認したいことがあるから、来てほしい。」

翌日、私はすぐに訪問した。

そこで驚いた。

社長が、私の提案内容をほぼ完璧に理解されていたのである。

特に驚いたのは、非上場株式の評価だった。

社長はこの一週間で、自社株評価に関する本を二、三冊読み込んでいた。

そして、自分の会社の株価がなぜこの金額になるのか。

何をすれば株価が下がるのか。

その仕組みまで理解されていた。

私は正直、驚いた。

その時、T社長から言われた言葉を今でも覚えている。

「うちはメガバンクをはじめ、地元の銀行とも取引がある。いろいろ提案は受けるけれど、
橋本君は普通の銀行員じゃないな。」

銀行員として、これほど嬉しい言葉はなかった。

しかし、本当にすごかったのは、その後である。

T社長は、私の提案内容を顧問税理士に説明し始めた。

しかも、一か月ほどかけて、自分で税理士にレクチャーされたのである。

そして最終的には、その顧問税理士を使って対策を実行した。

外部の専門家へ高額な費用を払うことなく、自分の顧問税理士と一緒に進めたのである。

私はこの経験から、非常に大きなことを学んだ。

事業承継で一番大切なのは、誰に頼むかだけではない。

社長自身が理解することなのだ。

自分の会社の株価がどうなっているのか。

なぜ、この対策をするのか。

どんなメリットがあり、どんなリスクがあるのか。

社長自身が理解すれば、判断できる。

判断できれば、行動できる。

T社長は、自ら「知らないリスク」をなくした。

そして、理解したらすぐに行動し、「放置リスク」も発生させなかった。

その結果、事業承継の問題を早い段階で整理し、本来の経営に集中できる体制をつくられた。

その後も私は何度もT社を訪問した。

しかし、事業承継について私の出る番は、ほとんどなくなった。

社長自身が理解し、自分で考え、自分で判断できるようになっていたからである。

私はそれでいいと思った。

むしろ、それこそが本当のコンサルティングではないか。

専門家に依存させることではない。

社長自身が会社の未来を考えられるようにすること。

T社長との出会いは、そのことを私に教えてくれた。

現在、私が事業承継の相談を受ける時、最初に大切にしていることがある。

それは、難しい対策を提案することではない。

まず、社長自身に理解していただくことである。

事業承継は、専門家任せにするものではない。

主役は、あくまで社長なのだ。

その考え方の原点には、二十年以上前に出会ったT社長がいる。