― 銀行員28年、初めて社長と同じ土俵に立った
創業から一年。
会社の資金は、ほぼ底をついていた。
苦しかった。
創業直後に三件のM&A案件が舞い込み、「これはいけるかもしれない」と期待した。
しかし、三件とも成約には至らなかった。
仕事はした。
時間も使った。
東京や大阪にも何度も足を運んだ。
それでも、成約しなければ売上はゼロである。
会社の通帳からは、毎月確実にお金が減っていった。
銀行員時代、私は数え切れないほどの中小企業の社長と接してきた。
資金繰り表を見て、
「社長、資金繰りには気をつけてください。」
「もう少し先を見て経営しましょう。」
そんなことを何度も言ってきた。
しかし、自分が経営者になって初めて分かった。
お金がなくなっていく怖さ。
来月の売上が見えない不安。
そして、
「この会社をどうやって続ければいいのか。」
という経営者の孤独。
私は、この頃から銀行について一つのことを考えるようになった。
私が入行した福岡相互銀行、後の福岡シティ銀行は、オーナー頭取の銀行だった。
ある意味、中小企業と同じである。
一方、多くの銀行のトップはサラリーマン経営者である。
もちろん、優秀な方々である。
しかし私は思った。
「自分のお金で会社をつくり、資金がなくなる恐怖を経験したことのない人に、本当の意味でオーナー社長の
気持ちが分かるのだろうか。」
そして、その問いは自分自身にも向けられた。
銀行員時代の私は、本当に社長の気持ちが分かっていたのだろうか。
おそらく、分かったつもりになっていただけだった。
私は28年間、銀行員として経営者を外側から見てきた。
しかし51歳で独立し、自分のお金を会社に入れ、売上がなければ給料も出ない立場になった。
そこで初めて、経営者と同じ土俵に立てた気がした。
だから私は、こう考えることにした。
「この苦しさを経験できて良かった。」
負け惜しみではない。
本当にそう思った。
この痛みを知らなければ、私は一生、本当の意味で中小企業オーナーの相談相手にはなれなかったかもしれない。
創業二年目、三年目。
苦しい状況は続いた。
そんな私を助けてくれたのは、銀行員時代からお付き合いのあった社長たちだった。
「橋本君、頑張れよ。」
そう言って保険に加入してくださる社長。
小規模なM&A案件を紹介してくださる社長。
毎月三万円の顧問料を払ってくださる社長。
一社一社の応援が、本当にありがたかった。
そのお金で何とか会社をつないだ。
今でも感謝している。
ただ、当時の私は精神的にもかなり追い込まれていたのだと思う。
目の前の資金繰りに必死で、冷静にビジネスモデルを考える余裕がなかった。
知り合いの社長を訪ねては、
「事業承継について考えませんか。」
「M&Aという方法もあります。」
と提案する。
社長は話を聞いてくれる。
「橋本君、それは大事だね。」
とも言ってくれる。
ところが、お金にならない。
なぜだろう。
銀行員時代には、同じような話をすれば喜んでもらえた。
独立しても知識は変わっていない。
経験もある。
むしろ専門性は高くなっているはずだった。
それなのに、仕事にならない。
少しずつ、その理由が見えてきた。
銀行員時代には、「銀行」という巨大な後ろ盾があった。
しかし、今の私にはそれがない。
それ以上に致命的だったことがある。
商品がなかった。
私は社長のところへ行って、
「事業承継が重要です。」
「自社株対策を考えましょう。」
「M&Aという方法もあります。」
と話す。
しかし、お客様からすれば、
「それで、橋本さんは何をしてくれるの?」
ということである。
サービスの内容が決まっていない。
成果物も明確ではない。
料金も決まっていない。
これでは商品とは言えない。
私は銀行員時代、金融商品を販売してきた。
融資にも金利があり、保険にも価格があり、投資信託にも商品名と手数料がある。
ところが、自分で会社をつくった途端、
「自分の知識と経験そのものが商品になる。」
と思っていた。
これは大きな勘違いだった。
専門知識があることと、売れる商品を持っていることは違う。
このことに気づくまでに、私は随分時間がかかった。
そんな苦しい時期に、一人の社長から相談を受けた。
K社長だった。
銀行員時代から、何度も相談を受けてきた経営者である。
ある日、K社長から言われた。
「橋本君、会社をこれからどうしたらいいだろう。」
悩みは、後継者だった。
誰に会社を託すのか。
株式をどうするのか。
これから会社をどうしていくのか。
社長自身も答えを出せずにいた。
私はK社長と一緒に、会社の未来を考え始めた。
この相談が、後に私自身の仕事の方向性を大きく変えることになる。
単に「事業承継は大切です」と説明するだけでは、お客様はお金を払わない。
経営者の悩みを整理し、選択肢を示し、一緒に決断し、実行まで伴走する。
それを「商品」にしなければならない。
私はようやく、自分が何を売るべきなのかを考え始めた。
銀行を辞めて二年余り。
銀行員としての経験だけでは、経営者にはなれなかった。
しかし、資金繰りに苦しみ、仕事が取れず、それでも応援してくれる社長たちに支えられたことで、
少しずつ見えてきたものがあった。
経営者の痛みは、経営者にならなければ分からない。
そして、その痛みを知ったことこそが、独立後の私にとって最大の財産になっていった。
次回予告
第23回 K社長の事業承継
後継者問題に悩んでいたK社長。
「この会社を、これからどうすればいいのか。」
私は、社長と一緒に会社の未来を考え始めた。
その案件を通じて、私は「事業承継コンサルティングとは何をする仕事なのか」を、改めて考えることになる。
第22回:経営者の痛み
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