― 平成27年1月4日、午前9時。私は銀行を辞めると決めた
私は昔から、日本の組織では当たり前なのかもしれない「忖度」というものが、どうも苦手だった。
正しいことは正しい。
間違っていることは間違っている。
当たり前のことだと思うのだが、昔からその思いが強かった。
良く言えば正義感が強い。
悪く言えば融通が利かない。
だから私は、もともと大きな組織には向いていなかったのかもしれない。
銀行員としての後半は、決して順風満帆ではなかった。
40歳で難病を患い、長期入院。
復帰後も再び病気が悪化し、入退院を繰り返した。
当然、昇進という意味では大きな影響を受けた。
さらに銀行の合併によって、組織は大きく変わった。
それまで一緒に仕事をしたことのない行員が、一気に増えた。
年月が経つにつれて、後輩たちが次々と昇進していく。
かつて自分の部下だった人間が、自分の上司になることもあった。
もちろん、年齢や入行年次だけで人を評価すべきではない。
優秀な後輩が昇進することには何の異論もない。
しかし、私が次第に我慢できなくなったのは、そこではなかった。
「この仕事を本当に理解している人間が、組織を動かしているのだろうか。」
という疑問だった。
私はプライベートバンキング室に11年近く勤務した。
事業承継、相続、自社株対策、M&A、資産運用。
多くの企業オーナーと向き合い、失敗もしながら、一つひとつ現場で学んできた。
経験を積めば積むほど、
「プライベートバンキングという組織は、こうあるべきではないか。」
「事業承継支援は、もっとこうすべきではないか。」
という考えが強くなっていった。
ところが、現実の組織はなかなか変わらない。
特に最後の三年ほどは、私より年下で、プライベートバンキング業務の経験も十分ではない人が上司となり、
私の仕事を評価する立場になった。
正直に言えば、納得できないことも多かった。
しかし、それ以上に私が苛立っていたのは、銀行が行う事業承継やM&A支援そのものだった。
銀行にとっては、収益を上げることが重要である。
金融商品を販売すれば、比較的早く収益になる。
しかし、事業承継は違う。
社長の話を聞く。
家族のことを聞く。
自社株を調べる。
後継者を考える。
何年もかけて会社の未来を一緒につくっていく。
すぐには収益にならない。
だからどうしても、組織の中では優先順位が下がる。
私は、それが残念でならなかった。
事業承継やM&Aは、企業オーナーの人生を左右する仕事である。
会社だけではない。
家族、社員、取引先、地域にも影響する。
もっと真剣に向き合わなければならない。
もっと専門性を高めなければならない。
もっとお客様の立場で考えなければならない。
私はそう思っていた。
「このままでは、お客様が可哀そうだ。」
次第に、そんな思いまで抱くようになった。
そして、最後に私の背中を押す出来事が起きた。
平成27年の正月だった。
頭取による幹部向けの年初挨拶を聞く機会があった。
そこで発せられた言葉が、今でも忘れられない。
「福岡銀行をライバルと思うからダメなんだ。三菱UFJを凌駕せよ。」
もちろん、大きな目標を掲げ、組織を鼓舞するための言葉だったのだと思う。
しかし、私はその言葉を聞いた瞬間、強烈な違和感を覚えた。
「銀行は、誰のために存在するのだろう。」
競争相手に勝つことが目的なのか。
銀行の規模を大きくすることが目的なのか。
私が考える地方銀行の役割は、そうではなかった。
地元企業を元気にする。
取引先を成長させる。
地域に雇用を生み出す。
そして、その企業が次の世代へ続いていくためのお手伝いをする。
その結果として、地域経済が豊かになる。
それこそが地方銀行の使命ではないか。
ライバル銀行の動向ばかりを見るのではなく、
「お客様に何をすれば喜んでいただけるのか。」
「地元企業をどうすれば成長させられるのか。」
そこをもっと真剣に考えるべきではないか。
私はそう思った。
そして、その瞬間だった。
平成27年1月4日、午前9時。
「銀行を辞めよう。」
そう決めた。
不思議なほど迷いはなかった。
銀行に28年間お世話になった。
多くの上司、同僚、部下に育ててもらった。
何より、銀行員だったからこそ、数え切れないほどの経営者と出会うことができた。
感謝しかない。
だから、銀行を否定して辞めたわけではない。
銀行という組織の中で、自分がやれることをやり切った。
そう感じたのである。
私は51歳になっていた。
普通なら、定年まであと5年もない。
そのまま銀行に残るという選択肢もあった。
安定した給与もある。
肩書もある。
銀行という大きな看板もある。
それをすべて手放す。
怖くなかったと言えば嘘になる。
しかし、40歳の時、私は命を失いかけた。
あの病室で、
「人生には限りがある。」
ということを嫌というほど思い知らされた。
だったら、残りの人生は、自分が本当にやりたいことに使おう。
銀行員としてお世話になった故郷の企業、そして中小企業の社長のために働こう。
銀行では十分にできなかった事業承継支援を、自分の手でやってみよう。
そう決めた。
振り返れば、私の独立は突然の決断だったように見える。
しかし、本当は違う。
病気。
銀行合併。
プライベートバンキング室への異動。
多くの企業オーナーとの出会い。
事業承継の現場で感じた疑問。
そして、組織の中で感じ続けてきた限界。
その一つひとつが積み重なり、平成27年1月4日の決断につながったのだと思う。
51歳。
決して若くはない。
会社経営の経験もない。
銀行の看板を外せば、自分に何が残るのかも分からない。
それでも、もう一度、自分の人生を賭けてみようと思った。
私の第二の人生が、ここから始まる。
第19回:銀行の限界、そして退職を決意
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