第19回:銀行の限界、そして退職を決意

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― 平成27年1月4日、午前9時。私は銀行を辞めると決めた

私は昔から、日本の組織では当たり前なのかもしれない「忖度」というものが、どうも苦手だった。

正しいことは正しい。

間違っていることは間違っている。

当たり前のことだと思うのだが、昔からその思いが強かった。

良く言えば正義感が強い。

悪く言えば融通が利かない。

だから私は、もともと大きな組織には向いていなかったのかもしれない。

銀行員としての後半は、決して順風満帆ではなかった。

40歳で難病を患い、長期入院。

復帰後も再び病気が悪化し、入退院を繰り返した。

当然、昇進という意味では大きな影響を受けた。

さらに銀行の合併によって、組織は大きく変わった。

それまで一緒に仕事をしたことのない行員が、一気に増えた。

年月が経つにつれて、後輩たちが次々と昇進していく。

かつて自分の部下だった人間が、自分の上司になることもあった。

もちろん、年齢や入行年次だけで人を評価すべきではない。

優秀な後輩が昇進することには何の異論もない。

しかし、私が次第に我慢できなくなったのは、そこではなかった。

「この仕事を本当に理解している人間が、組織を動かしているのだろうか。」

という疑問だった。

私はプライベートバンキング室に11年近く勤務した。

事業承継、相続、自社株対策、M&A、資産運用。

多くの企業オーナーと向き合い、失敗もしながら、一つひとつ現場で学んできた。

経験を積めば積むほど、

「プライベートバンキングという組織は、こうあるべきではないか。」

「事業承継支援は、もっとこうすべきではないか。」

という考えが強くなっていった。

ところが、現実の組織はなかなか変わらない。

特に最後の三年ほどは、私より年下で、プライベートバンキング業務の経験も十分ではない人が上司となり、
私の仕事を評価する立場になった。

正直に言えば、納得できないことも多かった。

しかし、それ以上に私が苛立っていたのは、銀行が行う事業承継やM&A支援そのものだった。

銀行にとっては、収益を上げることが重要である。

金融商品を販売すれば、比較的早く収益になる。

しかし、事業承継は違う。

社長の話を聞く。

家族のことを聞く。

自社株を調べる。

後継者を考える。

何年もかけて会社の未来を一緒につくっていく。

すぐには収益にならない。

だからどうしても、組織の中では優先順位が下がる。

私は、それが残念でならなかった。

事業承継やM&Aは、企業オーナーの人生を左右する仕事である。

会社だけではない。

家族、社員、取引先、地域にも影響する。

もっと真剣に向き合わなければならない。

もっと専門性を高めなければならない。

もっとお客様の立場で考えなければならない。

私はそう思っていた。

「このままでは、お客様が可哀そうだ。」

次第に、そんな思いまで抱くようになった。

そして、最後に私の背中を押す出来事が起きた。

平成27年の正月だった。

頭取による幹部向けの年初挨拶を聞く機会があった。

そこで発せられた言葉が、今でも忘れられない。

「福岡銀行をライバルと思うからダメなんだ。三菱UFJを凌駕せよ。」

もちろん、大きな目標を掲げ、組織を鼓舞するための言葉だったのだと思う。

しかし、私はその言葉を聞いた瞬間、強烈な違和感を覚えた。

「銀行は、誰のために存在するのだろう。」

競争相手に勝つことが目的なのか。

銀行の規模を大きくすることが目的なのか。

私が考える地方銀行の役割は、そうではなかった。

地元企業を元気にする。

取引先を成長させる。

地域に雇用を生み出す。

そして、その企業が次の世代へ続いていくためのお手伝いをする。

その結果として、地域経済が豊かになる。

それこそが地方銀行の使命ではないか。

ライバル銀行の動向ばかりを見るのではなく、

「お客様に何をすれば喜んでいただけるのか。」

「地元企業をどうすれば成長させられるのか。」

そこをもっと真剣に考えるべきではないか。

私はそう思った。

そして、その瞬間だった。

平成27年1月4日、午前9時。

「銀行を辞めよう。」

そう決めた。

不思議なほど迷いはなかった。

銀行に28年間お世話になった。

多くの上司、同僚、部下に育ててもらった。

何より、銀行員だったからこそ、数え切れないほどの経営者と出会うことができた。

感謝しかない。

だから、銀行を否定して辞めたわけではない。

銀行という組織の中で、自分がやれることをやり切った。

そう感じたのである。

私は51歳になっていた。

普通なら、定年まであと5年もない。

そのまま銀行に残るという選択肢もあった。

安定した給与もある。

肩書もある。

銀行という大きな看板もある。

それをすべて手放す。

怖くなかったと言えば嘘になる。

しかし、40歳の時、私は命を失いかけた。

あの病室で、

「人生には限りがある。」

ということを嫌というほど思い知らされた。

だったら、残りの人生は、自分が本当にやりたいことに使おう。

銀行員としてお世話になった故郷の企業、そして中小企業の社長のために働こう。

銀行では十分にできなかった事業承継支援を、自分の手でやってみよう。

そう決めた。

振り返れば、私の独立は突然の決断だったように見える。

しかし、本当は違う。

病気。

銀行合併。

プライベートバンキング室への異動。

多くの企業オーナーとの出会い。

事業承継の現場で感じた疑問。

そして、組織の中で感じ続けてきた限界。

その一つひとつが積み重なり、平成27年1月4日の決断につながったのだと思う。

51歳。

決して若くはない。

会社経営の経験もない。

銀行の看板を外せば、自分に何が残るのかも分からない。

それでも、もう一度、自分の人生を賭けてみようと思った。

私の第二の人生が、ここから始まる。