第20回:51歳、銀行を辞める

/

― 28年間背負った「銀行の看板」を外した日

平成27年4月。

私は28年1か月勤めた西日本シティ銀行を退職した。

昭和62年4月、福岡相互銀行に入行してから28年。

下大利、二日市、鳥栖、田川、久留米。

そして本部のプライベートバンキング室。

振り返れば、本当にいろいろなことがあった。

新人時代の厳しい営業。

結婚し、父親になった。

営業責任者となり、多くの部下を持った。

父との別れ。

40歳で難病を患い、命を失いかけた。

銀行合併。

そしてプライベートバンキング室で事業承継という仕事に出会った。

私の人生の大半は、銀行とともにあったと言ってもいい。

その銀行を、51歳で辞めた。

自分で決めたことだった。

後悔はなかった。

しかし、退職の日が近づくにつれ、不思議な気持ちになった。

明日から、自分は何者になるのだろう。

それまで私は、

「西日本シティ銀行の橋本です。」

その一言で仕事が始まった。

初めて訪問する会社でも、銀行の名刺を出せば社長に会っていただけた。

電話にも出てもらえた。

話も聞いてもらえた。

私は長い間、それを自分の力だと思っていたところがあったのかもしれない。

しかし、銀行を辞めれば、その看板はなくなる。

肩書もなくなる。

組織もない。

毎月決まった日に振り込まれる給料もない。

銀行員時代には、給料をもらうことを当たり前だと思っていた。

だが、独立すれば違う。

売上がなければ、給料はない。

仕事がなければ、自分で仕事をつくらなければならない。

51歳にして、私は初めて「経営者になる」という現実に向き合うことになった。

それでも、やってみたかった。

銀行員時代、私は数多くの中小企業の社長とお会いしてきた。

資金繰りに苦しむ社長。

後継者に悩む社長。

自社株の問題を抱える社長。

家族のことを心配する社長。

そして、誰にも相談できず、一人で決断する社長。

私はそんな社長たちを見ながら、いつしか思うようになっていた。

「もっと社長の側に立った仕事がしたい。」

銀行には銀行の役割がある。

しかし、銀行という組織に所属している以上、どうしても銀行の収益や方針を優先しなければならない場面がある。

私がやりたかったのは、そうではなかった。

社長の隣に座り、

「この会社をどうしたいのですか。」

そこから一緒に考える仕事だった。

特に、事業承継である。

私はプライベートバンキング室で、多くの企業オーナーと接する中で確信していた。

これから、日本の中小企業にとって事業承継は大変な問題になる。

社長の高齢化。

後継者不足。

高くなった自社株。

複雑になった株主構成。

そして、まだ元気だからと問題を先送りする経営者。

今でこそ事業承継やM&Aという言葉は一般的になった。

しかし、当時はまだ、

「事業承継で独立して、本当に仕事になるのか。」

そんな時代だった。

それでも私は、この仕事には必ず社会的な意味があると思っていた。

何より、40歳で命を失いかけた経験が私の背中を押していた。

あの時、私は思い知らされた。

人生には限りがある。

だったら残りの人生を、自分が本当にやりたいことに使おう。

銀行員として育てていただいた故郷の企業に、今度は自分自身の力で恩返しをしたい。

そう考えた。

平成27年6月。

私は「株式会社ビザイン・ファミリー・アドバイザーズ」を設立した。

51歳。

初めての起業だった。

銀行員としての経験はある。

事業承継の知識もある。

経営者との人脈もある。

だから、何とかなるだろう。

どこかで、そう思っていた。

しかし、それは甘かった。

銀行員としてお客様から評価されることと、自分自身にお金を払っていただくことは、まったく違ったのである。

銀行の看板を外した途端、初めて見えてくるものがあった。

銀行員時代に築いたと思っていた信用のうち、どこまでが「橋本裕二」への信用で、どこまでが「銀行」への信用だったのか。

その答えを、私はこれから嫌というほど知ることになる。

28年間、私は銀行員だった。

しかし、この日からは違う。

仕事をつくるのも自分。

売上をつくるのも自分。

失敗の責任を取るのも自分。

誰も守ってくれない。

今まで相談に乗ってきた「社長」という立場に、今度は自分自身が立つことになったのである。

不安はあった。

しかし、それ以上に期待があった。

これからは、自分が正しいと思うことを、自分の責任でやれる。

銀行ではできなかったことをやってみよう。

企業オーナーの立場に立ち、会社の未来を一緒に考える仕事をつくろう。

51歳。

私の第二の人生が始まった。

しかし、現実はそんなに甘くなかった。

次回予告

第21回 銀行の看板がなくなった

銀行員時代には、多くの社長と会うことができた。

「自分には人脈がある。事業承継の経験もある。きっと仕事は来る。」

そう思っていた。

ところが、独立すると仕事は簡単には来なかった。

51歳にして初めて知った、「仕事をいただく」ということの本当の厳しさについて書いてみたい。