第3回:橋本裕二が出会った社長100人

「金利は高かった。でも橋本君の方がよかった」

――銀行員として忘れられない言葉

私がこの社長と出会ったのは1999年。

今から27年前のことである。

調剤薬局など4店舗を経営する会社で、当時の年商は約5億円、利益は約1,000万円、従業員15名ほど。

決して大きな会社ではなかった。

しかし、堅実な経営を続け、毎期安定して利益を計上する、まさに地域に根を張った中小企業だった。

社長は昭和5年生まれの創業者。

私が出会ったとき、69歳だった。

「後継者をどうしようか……」

当時、会社には悩みがあった。

取引の中心は、現在は合併してなくなった別の銀行だった。

事業用地も、社長の自宅も、ほとんどの不動産がその銀行の担保に入っていた。

いわば、ガチガチに固められた状態だった。

一方、社長も69歳。

これから会社を誰に任せるのか。

後継者をどうするのか。

資金繰りをどうしていくのか。

いろいろな悩みを抱えていた。

私はよく社長の自宅に呼ばれた。

そこで資金繰りの相談を受けたり、後継者の話を聞いたり、経営について一緒に考えたりした。

振り返ってみると、「融資の営業」に行っていたというより、社長の相談相手として訪問していた時間の方が
長かったように思う。

担保がない。それでも取引した

私がいた銀行には、担保として取れるものがほとんど残っていなかった。

そこで、信用保証協会の保証付き融資を提案した。

融資残高は、ピーク時で3,000万円程度だったと記憶している。

私はこの会社を6年間担当した。

そして2005年、転勤することになった。

社長のところへ転勤の挨拶に伺ったときのことである。

その時、社長から思いがけないことを言われた。

「橋本君の融資は高かったよ」

社長は私にこう言った。

「橋本君の融資の提案は、保証料が要るし、メイン行より金利が0.5%高かったよ。」

私は驚いた。

6年間担当していて、そんなことを一度も言われたことがなかったからだ。

保証料まで含めれば、実質的な負担はメイン行よりかなり高かった。

それでも社長は、何も言わず私の提案を受け入れ、取引を続けてくれていた。

なぜだったのか。

続いて社長が、その理由を話してくれた。

「相談料と思えば、橋本君の方が断然よかった」

「でもな、メイン行と比べたら、橋本君に相談した件数は、諸々入れて30倍くらい多かった。」

そして、こう続けられた。

「相談料が要らなかったと思えば、橋本君の方が断然よかったよ。ありがとう。」

想定外の言葉だった。

金利は高い。

保証料も必要。

条件だけを比較すれば、私はメイン銀行には勝てない。

それなのに、

「橋本君の方がよかった」

と言っていただいた。

銀行員として、これほど嬉しい言葉はなかった。

金利だけが、銀行の価値ではない

この言葉は、その後の私の銀行員人生に大きな影響を与えた。

銀行員は、どうしても金利や融資額、担保、預金残高といった「数字」で取引を考えがちである。

もちろん、それらは重要だ。

しかし、中小企業の社長が銀行員に求めているものは、それだけではない。

資金繰りが苦しいときに相談できる。

後継者について悩んだときに話を聞いてくれる。

会社の将来を一緒に考えてくれる。

困ったときに顔が浮かぶ。

そういう存在になることにも、大きな価値がある。

この社長は、それを私に教えてくれた。

「渉外」ではなく「バンカー」になれた気がした

私は28年間、銀行員として働いた。

振り返れば、融資をいくら実行したとか、どれだけ預金を集めたとか、そういう数字はほとんど覚えていない。

しかし、社長からいただいた言葉は、今でも覚えている。

「相談料が要らなかったと思えば、橋本君の方が断然よかったよ。」

この一言を聞いたとき、単なる「銀行の渉外担当」ではなく、少しだけ「バンカーらしい仕事ができた」ような
気がした。

社長は令和4年に亡くなられた。

今、私は銀行を離れ、中小企業オーナーの事業承継やM&A、経営の相談に携わっている。

考えてみれば、今やっている仕事の原点の一つは、27年前、この社長との付き合いの中にあったのかもしれない。

商品を売ることより、相談されること。

条件で選ばれることより、人として信頼されること。

「困ったときに、まず相談したい」

そう思ってもらえる存在になること。

それが、本当の意味での金融マン、そしてコンサルタントの価値ではないか。

この社長からいただいた言葉は、今でも私の仕事の原点として残っている。