私は、昭和62年に福岡相互銀行へ入行しました。
なぜ、福岡相互銀行を選んだのか。
理由は、はっきりしています。
地場産業の育成に強い銀行だったから。
中小企業の育成に力を入れていたから。
そして、ベンチャー企業を積極的に応援する銀行だったからです。
そして何より、当時、四島司社長がおられた。
私にとっては、それだけで十分な理由でした。
「地域の企業を育てる銀行」に憧れた
銀行は、お金を貸すだけのところではない。
地域に可能性のある会社があれば応援する。
経営者と一緒になって会社を育てる。
その会社が成長すれば、雇用が生まれ、地域も豊かになっていく。
私は、そんな仕事をする人間になりたかったのだと思います。
残念ながら、四島氏と直接仕事をする機会には恵まれませんでした。
それでも、同じ銀行で17年間働かせていただいたことは、今でも私の誇りです。
私は四島氏を、本物の事業家であり、本物のバンカーだったと思っています。
だからこそ、ロイヤルや三井ハイテックをはじめ、地域を代表する企業の成長を応援することが
できたのではないでしょうか。
オーナー経営者を、本気で応援できるのか
私は長年、中小企業のオーナー経営者と付き合ってきて、よく考えることがあります。
「サラリーマンの感覚だけで、オーナー経営者と同じ目線に立てるのだろうか。」
オーナー経営者は、自分のお金を会社に入れ、自分で借金の保証をし、社員とその家族の生活を背負っています。
最後に責任を取るのも自分です。
その覚悟は、組織の中で働いているだけでは、なかなか理解できないものがあります。
私自身、銀行員だった頃には分からなかったことが、51歳で独立し、自分で会社を経営するようになって初めて
分かったことがたくさんあります。
銀行員時代の私は、経営者のことを理解しているつもりだった。
しかし今振り返れば、「分かったつもり」だったのかもしれません。
2015年、どうしても会いたかった
私は2015年、平成27年に西日本シティ銀行を退職しました。
実は、退職を決意した2015年1月、心の中で考えていたことがありました。
「四島さんのところへ行こう。」
直談判してでも弟子入りし、経営者を育てるとはどういうことなのか、本物のバンカーとは何なのかを、もう一度教えていただきたい。
本気でそう思っていました。
ところが、その翌月。
四島氏は90歳で逝去されました。
間に合いませんでした。
本当に残念でした。
今でも、時々考えます。
「あの時、お会いできていたら、何を教えていただいただろう。」
「今の自分を見たら、何と言われるだろう。」
答えを聞くことは、もうできません。
銀行を辞めても、バンカーでありたい
私は銀行を辞めて、もう10年以上になります。
しかし、自分の中では、銀行員を辞めても「バンカー」を辞めたつもりはありません。
むしろ、自分で会社を経営するようになった今の方が、
「本当の意味で地域企業を応援したい」
という気持ちは強くなっています。
銀行員時代、私は決して優等生ではありませんでした。
組織の論理より、「お客様にとって何が一番いいのか」を優先してしまう。
上司とぶつかることもありました。
ある意味、アウトローな銀行員だったと思います。
でも、それでよかったのかもしれません。
四島氏が大切にされていた「地域企業を育てる」というDNA。
それを受け継ごうとする人が、今は少なくなっているように私は感じます。
だからこそ、自分が少しでも残したい。
銀行という組織の中ではなくてもいい。
中小企業の経営者と同じ目線に立ち、その会社の可能性を見つけ、次の世代へつなぎ、さらに成長させていく。
それが、今の私がやろうとしている仕事です。
63歳になりました。
残された時間がどれくらいあるのかは分かりません。
でも、まだやりたいことがあります。
私は、これからもバンカーであり続けたい。
四島氏が残されたDNAを、自分なりの形で少しでも次の世代へ残していきたい。
それが、アウトローな銀行生活を送ってきた私の最後の夢なのかもしれません。
残された人生の時間を、その方向に向かって歩いていきたいと思っています。
第24回 私は、バンカーであり続けたい
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