第24回 私は、バンカーであり続けたい

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私は、昭和62年に福岡相互銀行へ入行しました。

なぜ、福岡相互銀行を選んだのか。

理由は、はっきりしています。

地場産業の育成に強い銀行だったから。
中小企業の育成に力を入れていたから。
そして、ベンチャー企業を積極的に応援する銀行だったからです。


そして何より、当時、四島司社長がおられた。

私にとっては、それだけで十分な理由でした。

「地域の企業を育てる銀行」に憧れた

銀行は、お金を貸すだけのところではない。

地域に可能性のある会社があれば応援する。

経営者と一緒になって会社を育てる。

その会社が成長すれば、雇用が生まれ、地域も豊かになっていく。

私は、そんな仕事をする人間になりたかったのだと思います。

残念ながら、四島氏と直接仕事をする機会には恵まれませんでした。

それでも、同じ銀行で17年間働かせていただいたことは、今でも私の誇りです。

私は四島氏を、本物の事業家であり、本物のバンカーだったと思っています。

だからこそ、ロイヤルや三井ハイテックをはじめ、地域を代表する企業の成長を応援することが
できたのではないでしょうか。

オーナー経営者を、本気で応援できるのか

私は長年、中小企業のオーナー経営者と付き合ってきて、よく考えることがあります。

「サラリーマンの感覚だけで、オーナー経営者と同じ目線に立てるのだろうか。」

オーナー経営者は、自分のお金を会社に入れ、自分で借金の保証をし、社員とその家族の生活を背負っています。

最後に責任を取るのも自分です。

その覚悟は、組織の中で働いているだけでは、なかなか理解できないものがあります。

私自身、銀行員だった頃には分からなかったことが、51歳で独立し、自分で会社を経営するようになって初めて
分かったことがたくさんあります。

銀行員時代の私は、経営者のことを理解しているつもりだった。

しかし今振り返れば、「分かったつもり」だったのかもしれません。

2015年、どうしても会いたかった

私は2015年、平成27年に西日本シティ銀行を退職しました。

実は、退職を決意した2015年1月、心の中で考えていたことがありました。

「四島さんのところへ行こう。」

直談判してでも弟子入りし、経営者を育てるとはどういうことなのか、本物のバンカーとは何なのかを、もう一度教えていただきたい。

本気でそう思っていました。

ところが、その翌月。

四島氏は90歳で逝去されました。

間に合いませんでした。

本当に残念でした。

今でも、時々考えます。

「あの時、お会いできていたら、何を教えていただいただろう。」

「今の自分を見たら、何と言われるだろう。」

答えを聞くことは、もうできません。

銀行を辞めても、バンカーでありたい

私は銀行を辞めて、もう10年以上になります。

しかし、自分の中では、銀行員を辞めても「バンカー」を辞めたつもりはありません。

むしろ、自分で会社を経営するようになった今の方が、

「本当の意味で地域企業を応援したい」

という気持ちは強くなっています。

銀行員時代、私は決して優等生ではありませんでした。

組織の論理より、「お客様にとって何が一番いいのか」を優先してしまう。

上司とぶつかることもありました。

ある意味、アウトローな銀行員だったと思います。

でも、それでよかったのかもしれません。

四島氏が大切にされていた「地域企業を育てる」というDNA。

それを受け継ごうとする人が、今は少なくなっているように私は感じます。

だからこそ、自分が少しでも残したい。

銀行という組織の中ではなくてもいい。

中小企業の経営者と同じ目線に立ち、その会社の可能性を見つけ、次の世代へつなぎ、さらに成長させていく。

それが、今の私がやろうとしている仕事です。

63歳になりました。

残された時間がどれくらいあるのかは分かりません。

でも、まだやりたいことがあります。

私は、これからもバンカーであり続けたい。

四島氏が残されたDNAを、自分なりの形で少しでも次の世代へ残していきたい。

それが、アウトローな銀行生活を送ってきた私の最後の夢なのかもしれません。

残された人生の時間を、その方向に向かって歩いていきたいと思っています。