「橋本君だから、取引したんだ」――1年かけて開拓したH社長との30年
今でもお付き合いが続いている社長の中で、最も長い付き合いになるのがH社長である。
出会ってから、もう30年になる。
現在は相談役になられているが、今でも時々相談をいただく。
会社の年商は約10億円、利益約5,000万円、純資産約8億円。
規模は決して大きくない。
しかし、長年にわたり極めて堅実な経営を続けてきた、財務内容のしっかりした会社である。
新規開拓で出会った、手強い社長
H社長と出会ったのは、私が銀行員として鳥栖支店に勤務していた頃だった。
当時の私は、新規開拓を専門に担当していた。
当然、取引のない会社を訪問し、
「何とか、うちの銀行とも取引していただけませんか」
とお願いする毎日である。
その中の一社がH社だった。
しかし、これがなかなか手強かった。
何度訪問しても、簡単には取引していただけない。
結局、最初に訪問してから新規取引が始まるまで、約1年かかった。
私の銀行員生活の中でも、1社を開拓するために、これほど時間をかけた会社はほかになかったかもしれない。
「借りてください」では勝負できない
H社は、商品の約80%を海外、特に中国から仕入れていた。
そこで私は考えた。
単に、
「融資はいりませんか」
「預金をお願いします」
と言っていても、既存の取引銀行には勝てない。
だったら、H社の商売そのものに役立つことをやってみよう。
銀行の国際部門を使い、中国・大連で仕入れの対象になりそうな企業を探した。
最終的に5社ほど紹介した。
サンプルを取り寄せる。
品質を確認してもらう。
取引条件を提示する。
輸入取引の方法を詰める。
一つひとつ進めていった。
正直、かなり手間暇のかかる仕事だった。
それでも、何とかH社長に振り向いてもらいたかった。
そして訪問を始めて約1年。
ようやくL/C(信用状)を開設していただき、正式な取引が始まった。
嬉しかった。
単に新規融資を獲得したというより、1年間かけて社長との信頼関係をつくり、ようやく認めてもらった。
そんな感覚だった。
6年後、もう一度訪問してみると……
その後、私は鳥栖支店から転勤した。
そして6年ほど経ち、久留米支店へ異動した際、久しぶりにH社長のところへ挨拶に伺った。
懐かしい気持ちで訪問したのだが、一つ驚いたことがあった。
私がいた銀行との取引が、なくなっていたのである。
H社長は私に言った。
「橋本君だから、取引したんだ。あとの担当者は熱意がなかったよ。」
嬉しかった。
しかし同時に、銀行員としては複雑な気持ちになった。
私個人を評価していただいたことは、本当にありがたい。
一方で、本来なら私が転勤しても、銀行との取引は続かなければならない。
銀行にとっては、決して褒められる話ではない。
それでも、この言葉は今も忘れられない。
起業後、突然かかってきた電話
それから長い年月が経った。
私も銀行を辞め、独立した。
すると、H社長から連絡があった。
「M&Aをするから、手伝ってほしい。」
銀行を辞めても、声をかけていただいた。
昔の銀行員としてではない。
一人の人間として、もう一度相談していただいた。
これは嬉しかった。
考えてみれば、鳥栖支店時代、何度断られても会社に通い、中国の仕入先まで探した。
あの1年間がなければ、この電話もなかったのだと思う。
取引が終わっても、人との付き合いは終わらない
銀行員時代、新規開拓には随分取り組んだ。
当時は、どうすれば新しい取引を獲得できるかを必死に考えていた。
しかし、30年経った今になって思う。
本当に大切だったのは、取引を取ることだけではなかった。
その社長のために、どれだけ本気で動いたか。
それを社長は見ていたのだと思う。
銀行の商品だけを売るのではない。
相手の商売を知り、その会社に必要なものを考え、自分にできることを徹底的にやる。
そうすれば、時間はかかっても信頼は生まれる。
そして本当の信頼は、名刺から銀行名が消えても残る。
H社長は現在、社長を退き相談役になられている。
それでも付き合いは続いている。
出会って30年。
私が今でもお付き合いさせていただいている経営者の中では、最も長い付き合いである。
「橋本君だから、取引したんだ。」
銀行員として嬉しくもあり、少し複雑でもあったあの言葉。
しかし今は、この言葉の意味がよく分かる。
会社との取引には終わりがある。
人との信頼には、終わりがない。
H社長との30年は、そのことを私に教えてくれた。