第5回:橋本裕二が出会った社長100人

「橋本君だから、取引したんだ」――1年かけて開拓したH社長との30年

今でもお付き合いが続いている社長の中で、最も長い付き合いになるのがH社長である。

出会ってから、もう30年になる。

現在は相談役になられているが、今でも時々相談をいただく。

会社の年商は約10億円、利益約5,000万円、純資産約8億円。

規模は決して大きくない。

しかし、長年にわたり極めて堅実な経営を続けてきた、財務内容のしっかりした会社である。

新規開拓で出会った、手強い社長

H社長と出会ったのは、私が銀行員として鳥栖支店に勤務していた頃だった。

当時の私は、新規開拓を専門に担当していた。

当然、取引のない会社を訪問し、

「何とか、うちの銀行とも取引していただけませんか」

とお願いする毎日である。

その中の一社がH社だった。

しかし、これがなかなか手強かった。

何度訪問しても、簡単には取引していただけない。

結局、最初に訪問してから新規取引が始まるまで、約1年かかった。

私の銀行員生活の中でも、1社を開拓するために、これほど時間をかけた会社はほかになかったかもしれない。

「借りてください」では勝負できない

H社は、商品の約80%を海外、特に中国から仕入れていた。

そこで私は考えた。

単に、

「融資はいりませんか」

「預金をお願いします」

と言っていても、既存の取引銀行には勝てない。

だったら、H社の商売そのものに役立つことをやってみよう。

銀行の国際部門を使い、中国・大連で仕入れの対象になりそうな企業を探した。

最終的に5社ほど紹介した。

サンプルを取り寄せる。

品質を確認してもらう。

取引条件を提示する。

輸入取引の方法を詰める。

一つひとつ進めていった。

正直、かなり手間暇のかかる仕事だった。

それでも、何とかH社長に振り向いてもらいたかった。

そして訪問を始めて約1年。

ようやくL/C(信用状)を開設していただき、正式な取引が始まった。

嬉しかった。

単に新規融資を獲得したというより、1年間かけて社長との信頼関係をつくり、ようやく認めてもらった。

そんな感覚だった。

6年後、もう一度訪問してみると……

その後、私は鳥栖支店から転勤した。

そして6年ほど経ち、久留米支店へ異動した際、久しぶりにH社長のところへ挨拶に伺った。

懐かしい気持ちで訪問したのだが、一つ驚いたことがあった。

私がいた銀行との取引が、なくなっていたのである。

H社長は私に言った。

「橋本君だから、取引したんだ。あとの担当者は熱意がなかったよ。」

嬉しかった。

しかし同時に、銀行員としては複雑な気持ちになった。

私個人を評価していただいたことは、本当にありがたい。

一方で、本来なら私が転勤しても、銀行との取引は続かなければならない。

銀行にとっては、決して褒められる話ではない。

それでも、この言葉は今も忘れられない。

起業後、突然かかってきた電話

それから長い年月が経った。

私も銀行を辞め、独立した。

すると、H社長から連絡があった。

「M&Aをするから、手伝ってほしい。」

銀行を辞めても、声をかけていただいた。

昔の銀行員としてではない。

一人の人間として、もう一度相談していただいた。

これは嬉しかった。

考えてみれば、鳥栖支店時代、何度断られても会社に通い、中国の仕入先まで探した。

あの1年間がなければ、この電話もなかったのだと思う。

取引が終わっても、人との付き合いは終わらない

銀行員時代、新規開拓には随分取り組んだ。

当時は、どうすれば新しい取引を獲得できるかを必死に考えていた。

しかし、30年経った今になって思う。

本当に大切だったのは、取引を取ることだけではなかった。

その社長のために、どれだけ本気で動いたか。

それを社長は見ていたのだと思う。

銀行の商品だけを売るのではない。

相手の商売を知り、その会社に必要なものを考え、自分にできることを徹底的にやる。

そうすれば、時間はかかっても信頼は生まれる。

そして本当の信頼は、名刺から銀行名が消えても残る。

H社長は現在、社長を退き相談役になられている。

それでも付き合いは続いている。

出会って30年。

私が今でもお付き合いさせていただいている経営者の中では、最も長い付き合いである。

「橋本君だから、取引したんだ。」

銀行員として嬉しくもあり、少し複雑でもあったあの言葉。

しかし今は、この言葉の意味がよく分かる。

会社との取引には終わりがある。
人との信頼には、終わりがない。


H社長との30年は、そのことを私に教えてくれた。