第4回:母の日の前に、母を思う

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明後日は母の日です。

この時期になると、亡き母のことを思い出します。

母は昭和4年生まれ。
生きていれば96歳になります。

19歳から小学校の教員となり、長い間、子どもたちに教える仕事を続けました。
今思えば、当時の女性としては、とても先進的で、行動力のある人だったと思います。

私が子どもの頃、母は厳しい一面もありました。

小学4年生くらいまでは、通知表の成績が悪いと本気で怒られた記憶があります。
子どもながらに、通知表を見せる日は緊張していました。

ところが、小学5年生になった頃から、母は何も言わなくなりました。

成績のことも聞かない。
通知表さえ、ろくに見なくなった。

仕事が忙しかったのか。
家のことに追われていたのか。
あるいは、私を信じて任せてくれたのか。

本当の理由は分かりません。

ただ、今になって思うのです。

あのとき私は、その優しさに甘えてしまった。
もっと勉強しておけばよかった。
もっと期待に応えておけばよかった。

そんな小さな後悔が、今も心のどこかにあります。

母は教員として働きながら、家事もこなしていました。

今なら共働きは珍しくありませんが、当時としてはかなり大変だったはずです。
仕事をして、家のこともして、子どもを育てる。相当な苦労があったと思います。

それでも、母はいつも明るかった。

家の中に暗い空気を持ち込まない人でした。
私は子どもの頃から、そんな母が大好きで、心から尊敬していました。

母の口癖は、よく覚えています。

「女性でも自立しないといけない。」

時代を考えると、かなり先を見ていた言葉だったと思います。

実際、母は言うだけの人ではありませんでした。

50歳くらいの頃だったでしょうか。

突然、当時の社会党推薦で県議会議員選挙に出ると言い出し、市役所に勤めていた父と大喧嘩になりました。

また、60歳くらいの頃には、今度はアフリカの中央アフリカ共和国へボランティアに行くと言い出しました。

家族が驚いているうちに、1週間後には本当に出発し、1ヶ月ほど現地で活動して帰ってきました。

思い立ったら動く。
人のためになることをしたい。
世間の常識に縛られない。

そんな生き方を貫いた人でした。

そして、私に対しても、いつも応援してくれました。

何かに挑戦するとき、迷ったとき、言葉にしなくても味方でいてくれる存在でした。

85歳くらいまでバイクに乗っていたほど元気でしたが、90歳を過ぎた頃から少しずつ弱っていきました。

92歳で特別養護老人ホームに入りました。
けれど、その頃はコロナによるパンデミックの真っ只中。面会ができませんでした。

会いたいときに会えない。
言いたい言葉を伝えられない。

あの時間は、今でも残念でなりません。

母の日が近づくたびに思います。

もっと感謝を伝えておけばよかった。
もっと話をしておけばよかった。

そして、最後にもう一度、きちんと言いたい。

お母さん、いつも応援してくれてありがとう。