第8回 二日市支店で新人渉外となる

/


― 今では考えられない、“昭和の銀行”を生きた

二日市支店で、私は新人渉外となった。

いま振り返ると、あの頃の銀行は、まさに“昭和”そのものだったと思う。
特に二日市支店は、行内でも有名な激戦店だった。

そして、支店長は超やり手として知られる存在だった。

とにかく厳しい。

朝は7時には支店に来る。
当然、渉外担当はそれより早く、6時半には来ていなければならない。

まだ外は薄暗い。
眠気も残っている。
だが、そんなことを言っていられる空気ではなかった。

支店に入った瞬間から、緊張感が張り詰めている。

朝から業績検討が始まる。

その日の訪問準備。
営業管理資料の整備。
当日の獲得目標の確認。
案件の進捗。
数字の確度。

すべてが細かくチェックされる。

少しでも準備不足がある。
数字への意識が甘い。
報告が曖昧。

そうなると、支店内は一気に“嵐”になる。

今の時代なら、完全に問題になるような厳しさだったと思う。

だが当時は、それが当たり前だった。

8時50分になると、渉外担当は一斉に外へ飛び出していく。

そこからが営業の始まりだった。

企業訪問。
集金。
融資相談。
定期預金。
住宅ローン。
新規開拓。

とにかく数字を追う毎日だった。

そして12時。
一度支店へ戻り、昼の報告が始まる。

だが、当然ながら、午前中だけで予定通りに数字がいくことなどほとんどない。

二階の食堂で報告が始まると、そこでもまた厳しい追及が飛ぶ。

空気は重い。

だが、それで終わりではない。

15時。
窓口業務終了の時間。

ここで再び中間報告。

しかし実は、ここまではまだ“前半戦”だった。

本当の戦いは、ここからだった。

夕方以降、経営者が会社へ戻ってくる時間になる。
ここから夜までが、渉外にとって最も重要な時間帯だった。

そのため、状況は随時、ポケットベルで報告させられる。

「いまどこにいる」
「案件はどうなった」
「数字はどうか」

常に追われていた。

支店へ戻るのは、21時頃になることも珍しくなかった。

しかし、戻ったから終わりではない。

そこから支店長による強烈なチェックが始まる。

案件の進捗。
訪問内容。
数字の詰め。
見込みの甘さ。

次々と厳しい言葉が飛ぶ。

先輩たちは、本当に大変だった。

そろばんで叩かれる。
支店長席の前に正座させられる。

そんな光景が日常のようにあった。

今では考えられない話だと思う。

私はそこまでではなかったが、それでも強い口調で叱責されることは何度もあった。

机の引き出しをひっくり返されたこともある。

毎日が、張り詰めた緊張感の連続だった。

当時の終電の時間は、今でも覚えている。

23時15分。

だが、その電車に乗れるのは週の半分くらいだった。

乗れなかった日は、銀行のバイクで帰る。

一時間以上かけて夜道を走る。

冬は寒い。
夏は暑い。
疲労もたまっている。

それでも翌朝には、また6時半に支店へ行く。

いまの若い人たちが聞けば、「そこまでやるのか」と驚くかもしれない。

正直に言えば、当時は本当にきつかった。

だが一方で、私はこの時代に鍛えられたとも思っている。

営業とは何か。
数字とは何か。
組織とは何か。
責任とは何か。

そして何より、「結果を出す」ということの重みを、身体で覚えた。

もちろん、今の時代に同じことをやるべきだとは思わない。

時代は変わった。
働き方も変わった。

だが、あの極限のような毎日の中で、「仕事に対する覚悟」のようなものが、
自分の中に少しずつできていったのも事実だった。

いま事業承継の現場で、多くの経営者と向き合っていると、時々あの頃を思い出す。

厳しい時代を生き抜いてきた社長たちには、やはり独特の迫力がある。

私自身もまた、昭和の銀行という厳しい現場で、多くを学ばせてもらったのだと思う。