― 社会は、野球より厳しかった
昭和62年4月、私は福岡相互銀行に入行した。
そして最初の配属先となったのが、下大利支店だった。
いま振り返ると、この新人時代ほど、自分の未熟さと、社会の厳しさを思い知らされた
時期はなかったように思う。
高校時代は野球に打ち込み、大学時代は東京で過ごした。
厳しい経験もしてきたつもりだった。だが、社会はまったく別世界だった。
銀行という職場には独特の緊張感がある。
扱うのは「お金」であり、「信用」だからだ。
一円でも現金が合わなければ問題になる。
伝票一枚のミスが、お客様との信用問題につながる。
学生時代のように、「まだ新人だから」で許される空気はなかった。
先輩たちの仕事は、とにかく速く、正確だった。
一方の私は、覚えることばかりで毎日必死だった。
今の時代とは違い、当時の銀行はかなり厳しい世界だった。
支店全体が張り詰めた空気に包まれていた。
新人は先輩の背中を見て覚える。
失敗して覚える。
そんな時代だった。
だが、その厳しさが、結果的には私を鍛えてくれたと思っている。
私が入行した当時、住宅ローン金利は4.9%だった。
当時としてはかなり低い金利であり、「これからは住宅ローンの時代だ」と言われていた頃である。
世の中は、まだバブル経済へ向かう空気に包まれていた。
土地は上がり続ける。
景気も伸び続ける。
そんな雰囲気が社会全体にあった。
銀行も積極的に住宅ローンを推進していた。
しかし、その後バブルは崩壊する。
変動型住宅ローンの金利は上昇し、住宅金融公庫から借換をしたお客様の中には、
返済負担が増え、「未払利息」が発生するケースも出てきた。
当時は、「低金利だから借換した方が得」という空気が強かった。
もちろん、私たち銀行側も、お客様にそうした提案をしていた。
だが結果として、お客様に負担をかけてしまったケースもあった。
若い銀行員だった私は、その現実を目の当たりにし、金融という仕事の怖さを知った。
銀行の提案は、お客様の人生に大きな影響を与える。
その時は正しいと思っていても、経済環境が変われば結果は変わる。
いま振り返ると、現在の超低金利時代にも、どこか似た空気を感じることがある。
人は、良い時ほどリスクを忘れる。
そして金融は、その時代の空気に大きく左右される。
若い頃に見たこの経験は、「今だけを見て判断してはいけない」という、私自身の大きな教訓になった。
一方で、私は若い頃から「待つ営業」が苦手だった。
入行2年目。
まだ貸付係だった頃である。
通常であれば、与えられた仕事を覚えるだけで精一杯の時期だったが、
私は夕方になると、自分から外へ営業に出ていた。
下大利商店街を歩き、飛び込みで店を回った。
いま思えば無謀だったかもしれない。
だが、「現場に出たい」「社長と話したい」という気持ちが強かった。
そんな中で、新規開拓できた先が二件あった。
一件はカジュアル洋品店。
もう一件は古物店だった。
小さな融資だったが、自分で開拓し、自分で話を聞き、自分で融資につなげた初めての案件だった。
おそらく、入行2年目で新規融資を実行した同期は、ほとんどいなかったと思う。
もちろん、今振り返れば、知識も経験も未熟だった。
だが、あの頃の私は、「自分で動かなければ何も始まらない」と思っていた。
この感覚は、その後の銀行員人生でも、独立後でも、ずっと変わっていない。
待っていても、仕事は来ない。
人との関係もできない。
自分から動くしかない。
私は、下大利支店でその原点を学んだ。
また、若い頃から現場に出て社長と話していたことで、
後に事業承継の仕事をする際にも、大きな財産になったと思う。
会社の空気。
社長の考え方。
現場の雰囲気。
それは、決算書だけでは決して分からない。
銀行員としての私の原点は、間違いなくこの下大利支店にある。
次回は、二日市、鳥栖、田川と異動を重ねる中で、
地域によって会社の顔がまったく違うことを学んでいった頃について書いてみたい。
第6回 下大利支店の新人時代
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